答1. 人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。

答2. 旧新約聖書にある神の御言葉だけが、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です。

答3. 聖書がおもに教えている事は、人が神について何を信じなければならないかまた神は人にどんな義務を求めておられるか、ということです。

答4. 神は霊であられ、その存在、知恵、力、聖、義、善、真実において、無限、永遠、不変のかたです。

答5. ただひとりしかおられません。生きた、まことの神です。

答6. 神には、三つの位格があります。御父と、御子と、聖霊です。この三位は、実体が同じで力と栄光において等しい、ひとりの神です。

答7. 神の聖定とは、神の御意志の熟慮による永遠の決意です。これによって神は、御自身の栄光のために、すべての出来事をあらかじめ定めておられるのです。

答8. 神が聖定を実行されるのは、創造と摂理の御業においてです。

答9. 創造の御業とは、神が、すべてのものを無から、力ある御言葉により、六つの日にわたって、万事はなはだよく造られたことです。

答10. 神は人を、男性と女性とに、知識と義と聖において御自身のかたちにしたがって創造し、被造物の支配を託されました。





答11. 神の摂理の御業とは、神が、最もきよく、賢く、力強く、すべての被造物とそのあらゆる動きを保ち、治めておられることです。

答12. 人を創造された時、神は人に、完全な服従を条件として命を契約されました。しかし、善悪を知る木の実を食べることは、死を制裁として禁じられました。

答13. 自分の意志の自由に任されていた私たちの最初の先祖たちは、神に罪を犯すことによって、創造された状態から堕落しました。

答14. 罪とは、神の律法への一致に少しでも欠けること、あるいは、神の律法にそむくことです。

答15. 私たちの最初の先祖たちを、創造された状態から堕落させた罪とは、彼らが禁断の木の実を食べたことでした。

答16. あの契約がアダムと結ばれたのは、彼自身のためだけでなく、子孫のためでもありました。それで、普通の生まれかたでアダムからでる全人類は、彼の最初の違反において
    彼にあって罪を犯し、彼と共に堕落したのです。

答17. 堕落は人類を、罪と悲惨の状態に落としました。

答18. 人が堕落した状態の罪性は、次の点にあります。すなわち、アダムの最初の罪の罪責を負うていること、原義を失っていること、人の性質全体の腐敗つまり、いわゆる原罪
    があること、そこからあらゆる現行罪が生じていることです。

答19. 全人類は、堕落によって神との交わりを失いました。今は神の怒りとのろいの下にあり、そのため、この世であらゆる悲惨と死そのものと永遠の地獄の刑罰との責めを負わさ
    れています。

答20. 神は、全くの御好意によって、永遠の昔から、ある人々を永遠の命に選んでおられたので、彼らと恵みの契約を結ばれました。それは、ひとりのあがない主によって、
    彼らを罪と悲惨の状態から救助して、救いの状態に入れるためです。





答21. 神の選民の唯一のあがない主は、主イエス・キリストです。このかたは、神の永遠の御子でありつつ人となられました。それで、当時も今もいつまでも、二つの区別された
    性質、一つの人格をもつ、神また人であり続けられます。

答22. 神の御子キリストが人になられたのは、聖霊の御力によって処女マリヤの胎に宿り・彼女から生まれながらも・罪はないという仕方で、真実の体と理性的霊魂をおとりに
    なることによってでした。

答23. キリストは、私たちのあがない主として、預言者、祭司、王の職務を、へり下りと高挙とのどちらの状態においても果たされます。

答24. キリストが預言者職を果たされるのは、御自身の御言葉と御霊によって、私たちの救いのために神の御意志を私たちに啓示してくださることにおいてです。

答25. キリストが祭司職を果たされるのは、神の正義を満足させて私たちを神に和解させるために、御自身をいけにえとしてただ一度ささげられたこと、また私たちのためにとりなし
    続けてくださることにおいてです。

答26. キリストが王職を果たされるのは、私たちを御自身に従わせ、治め、守ってくださること、また御自身と私たちとのあらゆる敵を抑えて征服してくださることにおいてです。

答27. キリストのへり下りは、次の点にありました。キリストが生まれられたこと、それも低い状態であられたこと、律法のもとに置かれたこと、しばらく死の力のもとに留ま
    られたことです。

答28. キリストの高挙は、次の点にあります。キリストが三日目に死人の中からよみがえられたこと、天に昇られたこと、父なる神の右に座しておられること、終わりの日に世を
    さばくためにこられることです。

答29. キリストの手に入れたあがないが、私たちに分け与えられるのは、キリストの聖霊がそれを私たちに有効に当てはめてくださることによってです。


答30. 御霊がキリストの手に入れたあがないを私たちに当てはめてくださるのは、私たちの中に信仰を働かせ、それによって私たちを有効召命においてキリストに結びつけること
    によってです。






答31. 有効召命とは、神の御霊の御業です。これによって御霊は、私たちに自分の罪と悲惨とを自覚させ・私たちの心をキリストを知る知識に明るくし・私たちの意志を新しく
    するという仕方で、福音において一方的に提供されるイエス・キリストを私たちが受けいれるように説得し、受けいれさせてくださるのです。

答32. 有効召命されている者は、この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます

答33. 義認とは、神の一方的恵みによる決定です。それによって神は、私たちのすべての罪をゆるし、私たちを御前に正しいと受けいれてくださいます。それはただ、私たちに
    転嫁され信仰によってだけ受けとるキリストの義のゆえです。

答34. 子とされることも、神の一方的恵みによる決定です。それによって私たちは、神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権に権利を持つものになるのです。

答35. 聖化は、神の一方的恵みによる御業です。それによって私たちは、人間全体にわたり神のかたちにしたがって新しくされ、ますます罪に死に義に生きることができるもの
    とされるのです。

答36. この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終わりまで恵みのう
    ちに堅忍することです。

答37. 信者の霊魂は、死の時、全くきよくされ、直ちに栄光にはいります。信者の体は、依然としてキリストに結びつけられたまま、復活まで墓の中で休みます。

答38. 信者は復活の時、栄光のあるものによみがえらせられて、審判の日に公に受けいれ無罪と宣告され、永遠に、全く神を喜ぶことにおいて完全に祝福された状態にされます

答39. 神が人に求められている義務は、神の啓示された御意志に服従することです。

答40. 神が人の服従のために最初に啓示された基準は、道徳律法でした。





答41. 道徳律法は、十戒の中に要約的に含まれています。

答42. 十戒の要約は、心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なる私たちの神を愛すること、また自分を愛するように私たちの隣人を愛することです。

答43. 十戒の序言は、次の言葉にあります。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」。

答44. 十戒の序言が私たちに教えている事は、神が主、また私たちの神でもあがない主でもあられるので、私たちはそのすべての戒めを守る義務がある、ということです

答45. 第一戒はこれです。「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」。

答46. 第一戒が私たちに求めている事は、神を唯一のまことの神また私たちの神として知り、認めること、またそれにふさわしく神を礼拝し、神の栄光をあらわすことです。

答47. 第一戒が禁じている事は、まことの神を否定するか、神また私たちの神として礼拝せず栄光をあらわさないこと、神だけにふさわしい礼拝と栄光を他の何ものにでも
     ささげることです。

答48. 第一戒の「わたしのほか(面前に)に」という言葉が私たちに教える事は、万事を見ておられる神が、他のどんな神を持つ罪にも注目し、これを大いにきらわれる、という
     ことです。

答49. 第二戒は、これです。「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形を
    も造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父
    の罪を子に報いて、三、四、代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」

答50. 第二戒が求めている事は、神が御言葉のうちに指定されたとおりの宗教的礼拝と規定のすべてを、受けいれ、実行し、純正完全に保つことです。






答51. 第二戒が禁じている事は、像による神礼拝、または神の御言葉に指定されていないあらゆる他の方法による神礼拝です。

答52. 第二戒に加えられている理由は、神が私たちに君臨する主権者であられること、神が私たちの所有者であられること、神が御自身への礼拝に熱心をもっておられること
    です。

答53. 第三戒はこれです。「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう」。

答54. 第三戒が求めている事は、神の御名、称号、属性、規定、御言葉、御業を、きよく敬虔に用いることです。

答55. 第三戒が禁じている事は、神が御自身を知らせるのに用いておられるどんなものをも、汚したり濫用するすべてのことです。

答56. 第三戒に加えられている理由は、この戒めを破る者がどんなに人々からの罰を免れても、私たちの神、主は、御自身の正しい審判を免れさせはなさらない、ということ
    です。

答57. 第四戒はこれです。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんの
    わざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、
    天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」。

答58. 第四戒が求めている事は、神が御言葉において、はっきりと七日のうち丸一日を御自身のための聖安息日にすると指定されたとおりに、その定めの時を神に対して
    きよく守ることです。

答59. 神は、世の初めからキリストの復活までは、週の第七日を週ごとの安息日と指定されました。そして、キリストの復活からは、週の第一日を世の終わりまで続けるよ
    うに指定されました。これがキリスト教安息日です。

答60. 安息日は次のように聖別すべきです。その日は終日きよく休むこと。他の日なら正当な世俗の職や娯楽さえもやめること。すべての時間を公私の神礼拝を守るのに
    費やすこと。ただし、必要やむを得ない業とあわれみの業にとられる時間は別です。




答61. 第四戒が禁じている事は、求められている義務を怠るか不注意に果たすこと、この日を、怠惰により・それ自体罪ある事を犯すことにより・または私たちの世俗の職
    や娯楽を必要もなく思い語り行うことによって、汚すことです。

答62. 第四戒に加えられている理由は、神が週の六日を私たち自身の職のために使わせてくださること、神が第七日には特別の所有権を主張されること、神御自身が模範を示
    されたこと、神が安息日を祝福しておられることです。

答63. 第五戒はこれです。「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである」。

答64. 第五戒が求めている事は、あらゆる人が目上、目下、対等といういろいろの地位と関係において持つ名誉を守り、義務を果たすことです。

答65. 第五戒が禁じている事は、あらゆる人がそのいろいろの地位と関係において持つ名誉と義務を、無視したり、それに反する何かを行なうことです。

答66. 第五戒に加えられている理由は、この戒めを守るすべての人に対する、(神の栄光とその人自身の益になるかぎり)長寿と繁栄との約束です。

答67. 第六戒はこれです。「あなたは殺してはならない」。

答68. 第六戒が求めている事は、私たち自身の命と他人の命を守るために、あらゆる正当な努力をすることです。

答69. 第六戒が禁じている事は、私たち自身の命を奪うこと、あるいは隣人の命を不当に奪うこと、またその恐れのあるようなすべての事です。

答70. 第七戒はこれです。「あなたは姦淫してはならない」。





答71. 第七戒が求めている事は、心、会話、振舞において、私たち自身と隣人の貞潔を守ることです。

答72. 第七戒が禁じている事は、すべてのみだらな思い、言葉、行動です。

答73. 第八戒はこれです。「あなたは盗んではならない」。

答74. 第八戒が求めている事は、私たち自身と他人との富や生活状態を正当に確保し、向上させることです。

答75. 第八戒が禁じている事は、何事であれ私たち自身または隣人の富や生活状態を不当に妨げる事、あるいはその恐れのある事です。

答76. 第九戒はこれです。「あなたは隣人について、偽証してはならない」。

答77. 第九戒が求めている事は、人と人との間の真実と、また私たち自身と隣人の名声とを、保ち、高めること、特に証言する時にそうすることです。

答78. 第九戒が禁じている事は、何事であれ、真実を損なう事、あるいは私たち自身や隣人の名声を傷つける事です。

答79. 第十戒はこれです。「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

答80. 第十戒が求めている事は、私たち自身の状態に全く満足すること、それも、隣人とそのすべての所有物とに対して、正しい愛の気持ちをもって満足することです。





答81. 第十戒が禁じている事は、すべて私たち自身の身分に満足せずに、隣人のしあわせをねたんだり恨んだりすること、またすべて、隣人の所有するどのようなものにでも法外な
    意向や愛着を寄せることです。

答82. ただの人は、堕落以来、この世では、だれも神の戒めを完全には守れず、日ごとに思いと言葉と行ないにおいて破っています。

答83. ある罪は、それ自体で、またいくつかの加重によって、他の罪よりも神の目には重罪です。

答84. 罪は、みな、この世でも来るべき世でも、神の怒りとのろいに相当します。

答85. 罪のため私たちに当然な神の怒りとのろいとを免れるために、神が私たちに求めておられる事は、キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられるすべての
    外的手段を、忠実に用いて、イエス・キリストを信じ、命に至る悔い改めをすることです。

答86. イエス・キリストへの信仰は、救いの恵みです。それによって私たちは、救いのために、福音において提供されているままにキリストのみを受けいれ、彼にのみ
    寄り頼むのです。

答87. 命に至る悔い改めも、救いの恵みです。それによって罪人は、自分の罪をほんとうに自覚しキリストにある神のあわれみを理解して、自分の罪を歎き憎みつつ、罪から神へと
    立ち帰り、新しい服従をはっきりと目差し努力するようになるのです。

答88. キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な普通の手段とは、キリストの規定、特に御言葉、礼典、祈祷です。このすべてが、選民にとって救いの
    ために有効とされます。

答89. 神の御霊が、御言葉を読むこと、特に説教を、罪人に罪を自覚させて回心させるため、また信仰によってきよめと慰めのうちに救いに至るまで建て上げるために、有効
    な手段とされます。

答90. 御言葉が救いに有効となるには、私たちは、勤勉、準備、祈祷をもってこれに傾聴し、信仰と愛をもって受けいれ、私たちの心のうちに蓄え、私たちの生活の中で実践
    しなければなりません。





答91. 礼典が救いの有効な手段となるのは、礼典そのものや礼典執行者の中にあるどのような力によるのでもありません。ただ、キリストが祝福してくださる事と、信仰に
    よって礼典を受ける人々にキリストの御霊が働いてくださることによるのです。

答92. 礼典とは、キリストが制定されたきよい規定です。そこでは、キリストと新しい契約の祝福とが、感覚的なしるしによって信者たちに示され、証印され、当てはめられる
    のです。

答93. 新約の礼典は、洗礼と主の晩餐です。

答94. 洗礼とはひとつの礼典です。そのとき、父と子と聖霊の御名によって水で洗うことが、私たちがキリストにつぎ木され、恵みの契約の祝福を分け与えられ。主のものになると
    約束することを、表わし証印するのです。

答95. 洗礼は、可見的教会の外にいる人には、キリストへの信仰と服従とを告白するまでは、だれにも執行してはなりません。しかし、可見的教会の会員の幼児は、洗礼を受け
    なければなりません。

答96. 主の晩餐も、ひとつの礼典です。そのとき、キリストの指定にしたがって、パンとぶどう酒を与え、また受けることによって、キリストの死が示されます。また、ふさわ
    しい陪餐者が、身体的、肉的な仕方でではなく信仰によって、キリストの体と血を、キリストのあらゆる祝福もろとも分け与えられて、霊的に養われ恵みのうちに成長
    するのです。

答97. 主の晩餐にふさわしく参加したい人には、次の事が求められています。すなわち、主の御体をわきまえる自分の知識・キリストを糧とする自分の信仰・自分の悔い改めと
    愛と新しい服従について、自己吟味することです。それは、ふさわしくないままで来て、その飲み食いによって自分にさばきを招くといけないからです。

答98. 祈祷とは、神の御意志に一致する事のために、キリストの御名によって、私たちの罪の告白と神のあわれみへの感謝に満ちたお礼を添えて、神に私たちの願いをささげるこ
    とです。

答99. 神の御言葉全体が、私たちに祈祷を教えるのに役立ちます。しかし、その特別な指導基準は、キリストが弟子たちに教えられた祈祷文、いわゆる「主の祈り」です。

答100. (「天にまします我らの父よ」という)主の祈りの序言が私たちに教えている事は、私たちを助ける力と志をもっておられる神に、全くきよい崇敬と確信とをもって
     父に対する子のように近づくこと、また、私たちが他の人々と共に、他の人々のために祈らなければならない、ということです。







答101. (「ねがわくは、み名をあがめさせたまえ」という)第一の祈願で私たちが祈る事は、神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと
     他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように、また、神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように、ということです。

答102. (「み国をきたらせたまえ」という)第二の祈願で私たちが祈る事は、サタンの王国を滅ぼしてくださるように、恵みの王国を進展させ、私たち自身と他の人々をそこに
     入れ、その中に守ってくださるように、また栄光の王国を早く来たらせてくださるように、ということです。

答103. (「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」という)第三の祈願で私たちが祈る事は、神が恵みによって私たちにも、天における御使いたちのように、万事に
     つけて神の御意志を知り・従い・服することができる力と意志とを、授けてくださるように、ということです。

答104. (「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という)第四の祈願で私たちが祈る事は、神の一方的な賜物のうちから、私たちがこの世の良き物の正当な分を受け、それによ
     って神の祝福を楽しむことができるように、ということです。

答105. (「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という)第五の祈願で私たちが祈る事は、神が、キリストのゆえに、私たちのあらゆる罪を
     一方的にゆるしてくださるように、ということです。私たちは、神の恵みによって他人を心からゆるせる者とされているので、なおさらこれを求めるように奨励されて
     いるのです。

答106. (「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」という)第六の祈願で私たちが祈る事は、神が私たちを罪の誘惑から守ってくださるか、私たちが試みられる
     時に私たちを支えて助け出してくださるように、ということです。

答107. (「国とちからと栄とは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」という)主の祈りの結びが私たちに教えている事は、私たちが、祈祷における励ましを神だけから
     受けるということ、また祈祷において、神に国と力と栄光とを帰して神を賛美することです。また、自分の願いと聞かれる確信とを証言して、私たちは「アーメン」
     と言うのです。


ウェストミンスター信仰基準
'00年第1版   新教出版社